5/12に新国立競技場の緊急シンポジウムが行われた。
http://2020-tokyo.sakura.ne.jp/shinkokuritsu.html
人類学者の中沢新一さんは、「われわれは、五輪に異を唱えているわけではない。改修して良いものを造ることができるならば、『もったいない』の文化を日本の建築思想として世界に発信できる。将来発生する莫大な維持費用を考えれば、国民にはそれに反対する権利がある。」と語っている。
海外の有名建築家を選ぶか、この運動に参加するか。日本国民が選ぶ権利がある。
未来のシンボルを纏ったザハ・ハディドの建物に、国民が誇りを持てるのだろうか。
私は、見えない形が好きである。この運動自体の、見えない力がとても好きであるし、ずっと未来を感じる。
さっそく、1票入れました。
建築家伊東豊雄さんの国立競技場代替改修案が12日に公表されるらしい。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014051002000115.html
ザハ・ハディッドの案で決まったと・・・理解していた。流線形の未来的な形状の計画案である。
http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/
一度は、このコンペに負けたボクサーが・・・もう一度立ち上った。
賛否両論あると思うけど、私は、この72歳のボクサーを応援したい。
何かしなければいけないことが目の前にある時に、勝ち負け関係なく立ち上るのが、
本当の建築家であると思う。
そういえば、私の師である倉田康男も負けボクサーであった。
内藤廣さんの講演会を聴いた。偉大な現代の建築家のひとりです。
内容は、どういう思考で自身が建築を作っているかということを説明するものでした。
学生の頃、建築家が語る言葉をたくさん聞いたが、その時にはさっぱりわからなかった。作るものは違えど、42才になった私には、共感する言葉がたくさんあった。
非合理的(赤おに)な思考と合理的(青おに)な思考がせめぎ合いながら・・・矛盾もありながら・・・ものを作っていると教えてくれた。
なんとも、よくわかる心境である。
日曜日にずっと見てみたかったヒヤシンスハウスに行ってきました。立原道造が構想した週末住宅です。道造は、24歳で死んでしまった建築と詩の天才。
あいにく、その時は中に入れませんでしたが、また今度、家族で見に行こうと思います。
たったひとつの窓から湖を見ながら・・・なにもしないでここに居たかった。ようです。
詩も美しいけれど、この小さな小屋にも言葉に置き換えられない美しさがあると思いました。こんな簡素で美しいのを作ってみたいなー
ヒヤシンスハウスについては、このサイトに写真やスケッチが載ってます
好きな作家と言えば、吉村順三。アントニン・レーモンド。中村好文。・・・あたりだろうか。
彼らに共通し、また私が好きなところは、簡素な美学を持って建築を作っているところである。
住宅というのは、建築主様の趣味によるところが大きいため、私が彼らのような「簡素な」空間を望んでいても、なかなか作る機会にはあたって来ない。ギャラリーに載せてある写真は、建築主様がそのような「簡素さ」を好んで受け入れてくれたため実現したものでもある。
簡素なものには、高級品では決して出せない美しさがある。それは、できた空間も何故か人を暖かく包んでくれるし、何より、その簡素なものの持ち主の人柄を見る者に感じさせるところからもくるのであるとも思う。
このような簡素なものを目指していきたい。簡素なものを大事に生きられれば、きっといい人生になるように思うからである。
興味のある方は、「小さな森の家-軽井沢山荘物語:建築資料研究社」「中村好文 普通の住宅、普通の別荘:TOTO出版」をご覧あれ。写真が豊富でわかりやすいとてもいい本です。